競輪選手になるならば大阪へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 16:36 UTC 版)
「山本清治」の記事における「競輪選手になるならば大阪へ」の解説
山本は熊本県の生まれであるが、熊本商業を卒業後、競輪選手の登録地を大阪とした。 これは、競輪を職業として選ぶ以上、当時自転車産業が盛んで、かつ戦前、自転車メーカーに所属していた選手が大勢いた大阪のほうが早く強くなれるという考えがあったことに起因するものだった。当時大阪は後に第1回の全国争覇競輪(現・日本選手権競輪)を優勝することになる横田隆雄を筆頭として、自転車競技の第一人者といえる選手が数多くおり、山本も彼らを目標に日夜精進していれば、必ずトップクラスになれる日は近いと信じていた。また山本は選手登録日当時、熊本商業の生徒であったが、学校の許可を得て競輪競走にも参加していたという、二足のわらじを履いていた。
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