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立石方亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 01:18 UTC 版)

立石 方亮(たていし ほうりょう、1897年明治30年)7月21日[1][2] - 1957年昭和32年)4月16日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧名・鹿熊。

経歴

熊本県出身[1][2][3]熊本陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業[1][2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第80連隊付となる[1][3]。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業し歩兵第80連隊中隊長に就任した[1][2][3]

1931年(昭和6年)3月、陸士教官となり、第14師団参謀、参謀本部員を務め、1934年(昭和9年)8月、歩兵少佐に昇進[1]1935年(昭和10年)1月、ソビエト連邦駐在[1]1937年(昭和12年)8月、兵科航空兵に転科し航空兵少佐となり陸大教官に就任[1]1938年(昭和13年)3月、航空兵中佐に進み、同年12月、トルコ大使館武官に発令された[1]。1939年(昭和14年)8月、航空兵大佐に昇進し、同年12月、ブルガリア公使館付武官を兼任[1][2][3]。1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進級[1][2][3]。1946年(昭和21年)3月に復員した[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本陸海軍総合事典』第2版、99頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』448頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』428-429頁。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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