空からの遭難信号CQD
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 04:32 UTC 版)
このように1910年には遭難信号としてSOSが一般的になっていたにもかかわらず、マルコーニ社がCQDを使い続けたことで知られているのが、飛行船アメリカ号(英語版)の遭難事故である。 新聞社の社員であり、冒険家でもあるウォルター・ウェルマンは1906年より飛行船で北極点を目指していたが、1909年4月6日、ロバート・ピアリーの犬ぞり探検隊に先を越されてしまった。そこでウェルマンは飛行船アメリカ号で世界初の大西洋横断飛行を計画したのである。1910年6月、飛行の様子を無線電信で逐次新聞社へ届けるために米国マルコーニ社と契約を交わし、無線機とアンテナがアメリカ号に取り付けられた。 1910年10月15日の朝、アトランティックシティを飛び立ったアメリカ号の通信士は、米国マルコーニ社のシアスコンセント海岸局MSCで働いていたジャック・アーウィン(Jack Irwin)だった。初日は飛行も無線連絡も順調で、米国東海岸沿いを北東へ大圏コースで欧州へ向かっていたが、まもなくエンジン・トラブルと暴風に遭い、南東へ、さらに南へと低空で漂流しはじめた。アーウィン通信士は10月16日夕刻よりCQDで助けを求めたが、うまく通信を確立できないまま長い時が過ぎていった。 1910年10月18日早朝4時頃、一隻の船を発見し無線でCQDを送ったが応答がなく、電気ライトでモールス信号を送ってみたところ反応があった。アーウィン通信士は自分たちが無線を装備していることをライトで伝えると、しばらくして無線で返事がきた。その船はニューヨークに向かっていた英国・Royal Mail Steam Packet社(英語版)のトレント号(英語版)号(呼出符号RNR)で、アメリカ号の全乗員6名と猫1匹が救助された。空からはじめて用いられた遭難信号は国際的なSOSではなく、マルコーニ社独自のCQDだったのである。
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