穂落伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 06:41 UTC 版)
穂落伝承は佐美長神社の創建にまつわる伝承であり、『倭姫命世記』に記されている。伝承の内容は以下の通りである。 「 垂仁天皇27年9月、倭姫命一行が志摩国を巡幸中、1羽の真名鶴がしきりに鳴いているところに遭遇した。倭姫命は「ただごとならず」と言い、大幡主命と舎人紀麻良を派遣して様子を見に行かせた。すると稲が豊かに実る田を発見、もう1羽の真名鶴は稲をくわえていた(「くわえて飛んできてその稲を落とした」とも)。倭姫命は「物言わぬ鳥すら田を作り、天照大神に奉る」と感激し、伊佐波登美神に命じて抜穂(ぬいぼ)に抜かせ、天照大神に奉った。その稲の生育していた田を「千田」(ちだ)と名付け、その傍らに神社を建立した。これが伊雑宮であり、真名鶴を「大歳神」として祀ったのが佐美長神社である。 」 この伝説を御巫清直は「朝熊神社の大歳神を強引に佐美長神社に結び付けたもの」として批判している。『磯部町史』では、「地域を治めた磯部氏が稲作の神として創祀したもの」との説を提唱している。
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