穂口とキャンディーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 10:12 UTC 版)
作曲家に転身して間もないある日、テレビで見た可愛い女の子3人組にヒットの可能性を見出した穂口は、後日久々に会った松崎澄夫にそのことを話し、このような3人組のグループをプロデュースしてはと提案したところ、その3人組を松崎がプロデュースしていたと教えられて驚く。その3人組こそ、当時発足して間もないキャンディーズであった。穂口は松崎の依頼で彼女らのレッスンを担当することになり、曲提供も行うようになった。その後、「夏が来た!」で事務所が2匹目のドジョウを狙ったことに不信感を抱き、この曲を最後に一度キャンディーズからは離れたが、松崎の依頼を受けて「わな」で復帰(この間、「暑中お見舞い申し上げます」の作曲依頼を受けたが断っている。ただし、B面の「オレンジの海」は穂口の作・編曲である)、グランドフィナーレまでの間、3人を後押しした。 作詞、作曲、編曲を担当した代表作「春一番」(1976年 キャンディーズ)は、テレビCMなどで繰り返し放送されている。もともとはアルバムに収録された一楽曲にすぎなかったが、ファンクラブからの意見で後にシングルカットされたという逸話がある。また、1996年12月に発生した「ペルー日本大使公邸占拠事件」では、「ラジオアメリカ」が「春一番」(他に「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」「コンドルは飛んでいく(ペルー民謡)」「ラジオ体操」)を日本語放送して当時人質となっていた者たちを励ました。 「わな」での3人の成長ぶりに離れていた間でも努力を怠らなかったことを感じ取った穂口は「微笑がえし」のレコーディングにおいて3人に敬意を表し、アイドルではなくミュージシャンとして扱うため、3人にも初見でのレコーディングをさせることを提案する。スタッフにも異論は出ず、3人も完璧な歌唱でこれに応え、レコーディングはあっという間に終了したという。
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