科挙合格まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:02 UTC 版)
朱熹は、字は元晦または仲晦。幼い頃から勉学に励み、5歳前後の頃に「宇宙の外側はどうなっているのか」という疑問を覚え、考え詰めた経験があった。父の死後は胡憲・劉勉之・劉子翬のもとで学んだ。朱熹はこの三先生に数年間師事し、直接指導を受けるという恵まれた環境で成長した。ここで朱熹は「為己の学」(自分の生き方の切実な問題としての学問)という方向性が決定づけられ、また一時期禅に傾斜した時期もあった。同時に儒教の古典の勉学に励み、18歳の秋に建州で行われた解試(科挙の第一段階の地方予備試験)に合格すると、紹興18年(1148年)、19歳の春に臨安で行われた科挙の本試験の合格し、進士の資格を与えられた。同年の合格者には、『遂初堂書目』の著者として知られる尤袤もいる。 朱熹は科挙に合格すると読書の幅を広げ、『楚辞』や禅録、兵法書、韓愈や曾鞏の文章などを読み、学問に没入した。朱熹はこの頃からすでに、従来の経書解釈に疑念を持つことがあった。
※この「科挙合格まで」の解説は、「朱熹」の解説の一部です。
「科挙合格まで」を含む「朱熹」の記事については、「朱熹」の概要を参照ください。
- 科挙合格までのページへのリンク