福間納の記録不達成要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:07 UTC 版)
「宇佐美徹也」の記事における「福間納の記録不達成要求」の解説
1984年に阪神タイガースの福間納が、1961年に稲尾和久が作ったシーズン登板記録(78試合)を上回りそうになった際、部下の記者が書いた記録更新の可能性の記事を、話題にすれば選手もその気になってしまうという理由で独断でボツにし、さらに阪神の監督だった安藤統男に「稲尾の記録は400イニング以上を投げて作られたもので、中継ぎ登板だけで形だけの記録を作るべきではない」「42勝をあげた鉄腕・稲尾と4勝の福間を登板回数だけで比べるのは記録ではない。そんなものにこだわるなら、自分はもう記録記者をやめようと思う」という趣旨の手紙を送っている。安藤は、宇佐美の申し出を理解し、その結果、86試合消化時点で60試合(70%の試合に登板)だった福間の登板数は、残り44試合で17登板(同39%)に激減し、稲尾に1試合少ないセリーグ記録(当時)の77試合となった。宇佐美は、「稲尾の大記録はこうして守られた。大乗的見地に立って判断を下した安藤監督のファインプレーというべきだろう」と評し、「内容の伴った記録で正々堂々挑戦させる姿勢をうち出してほしいものだ」と締めくくっている。
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