神祇官説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/07 01:24 UTC 版)
岸説に反対した新野直吉は、1国1人の律令国造があった時代に、1国に数人が対応するかつての国造が遺制としてありえたのかという疑念を出した。また、国造丁が詠んだ歌が隊長らしくないとも指摘した。つまり、4首のどれも勇ましいところがなく、我が身の寂しさを嘆くばかりで、指揮官として部下を意識したものがない。使命感を披瀝する歌は、むしろ助丁によって詠まれている。 新野の考えでは、国造丁は律令国造の職務に対応するもので、従軍神祇官とでも呼べる官職である。国造丁が助丁より先に書かれるのは、律令官制で神祇官が太政官より先に書かれるのと同じで、実質的な隊長は助丁だったという。
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