神戸市立山手小学校
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神戸市立山手小学校(こうべしりつ やまてしょうがっこう)は、かつて兵庫県神戸市中央区中山手通4丁目に存在した公立小学校。
- ^ 神戸海洋気象台と山手小学校の界隈
- ^ 神戸市文書館 学校史 J3 803 創立八十周年記念誌 和と輪(山手小学校) 昭和56年
- ^ (神戸山手大学自己評価報告書(200906)より) 当時女児ばかりの学校であった神戸市立山手尋常高等小学校もその例外ではなく
- ^ 山手教育四十年P106 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料 P7「建設の由来」に明治26年に学校用地を取得していた旨の記載がある。
- ^ 「神戸今昔散歩 彩色絵はがき・古地図から眺める」 原島広至 中経出版 (2011/09 出版)ISBN:9784806141556 P112-113に、山手尋常小学校建設前の明治20年代後半、明治30年代前半の写真が掲載されている。また、P114に小寺邸(現相楽園)の東隣に、明治30年代後半の校舎屋根の写真が掲載されている。P115の下の「手彩色絵はがき」の右下に、昭和初期の校舎と校庭の東側部分が掲載されている。
- ^ 山手教育四十年P31 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 山手教育四十年P188 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 高等小学校 1907年(明治40年)3月21日 - 小学校令の一部改正により、澤柳政太郎文部次官の下、修業年限が6年に延長。高等小学校の旧1・2年を尋常小学校5・6年とし、高等小学校の旧3・4年を高等小学校の新1・2年とした。
- ^ 山手教育四十年P106 通学区域の変遷 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 山手教育四十年8コマ目写真、P14-15 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 山手教育四十年P169 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 山手教育四十年8コマ目写真,P25,P175 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 神戸市文書館 昔の神戸 明治22年の市政町村制による「行政町村」の成立の項( ”明治22年4月の市制町村制の施行にともない、神戸区に菟原郡葺合村と八部郡荒田村を併せて神戸市が誕生した。”)および”写真を見る”参照
- ^ 山手教育四十年P62-63,P107 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 山手教育四十年 10,11コマ目 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 山手教育四十年P104-5 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ 卒業名簿写真
- ^ 山手教育四十年P332(図示あり) 神戸市山手尋常小学校 編 昭和15年 国会図書館デジタル化資料
- ^ (学校法人 神戸山手学園 歴史・沿革より) 神戸山手学園は1924年、大正13年5月9日「山手学習院」として諏訪山の麓に設立されました。杉野精造神戸市立山手尋常高等小学校校長が発起人となり、前神戸市長・鹿島房次郎(後に川崎造船所社長、神戸商工会議所会頭を歴任)を初代校長に迎え、小学校保護者及び地元有志の浄財によって設立された学校が神戸山手学園の前身です。
- ^ (神戸山手大学自己評価報告書(200906)より) 杉野は明治39年4月、満32歳で神戸市立山手尋常高等小学校校長に就任し、その在任期間は23年間におよび、「初等教育界をして斯界の麒麟児」と畏敬を受ける存在であった。「大正後半期以降中学校・高等女学校進学希望者が顕著に増加し、学校数も増加したが、その収容数は必ずしも需要に充分対応しうるものではなかった」(文部省『学制百年史』)とあるが、当時女児ばかりの学校であった神戸市立山手尋常高等小学校もその例外ではなく、高等女学校への進学を断念せざるを得ない女児が多数にのぼる状況であった。こうした子女の進学難を緩和するため新たな高等女学校の創設・経営を目的とした「山手家庭慶福会」が、大正13(1924)年、杉野精造発起のもと、同校保護者有志の賛同と協力とによって結成され、同年5月9日付で本学園の前身である「山手学習院」設置認可にいたった。
- ^ 「夢」を実現した軌跡をたどる Jリーグを創った男・佐々木一樹 第1回 大住良之
- 1 神戸市立山手小学校とは
- 2 神戸市立山手小学校の概要
- 3 関係者
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