神代監督の人間観と演出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 08:41 UTC 版)
「一条さゆり 濡れた欲情」の記事における「神代監督の人間観と演出」の解説
神代辰巳は、一条さゆりのことを「その辺のちゃちな名が知れたタレント以上に立派な芸人」で、「ゲリラのかっこよさもなく、筋の通った抵抗の論理もなく、法律と自分の身過ぎの芸の間で悩める芸人」であったとしている。また一条さゆりの特出し(局部を観客に見せる)を例にとって、「ギリギリの切実さの部分で身をさらけ出す役者」であり、神代自身、その一条さゆり自身が持つポルノ、彼女のギリギリのところをどこまで表現できるのかが勝負であったとしている。 神代はまた、自らが撮影したポルノ映画に出演した女優たちについても「ギリギリテメエ」で生きている人たちが多くて面白いとしている。究極的に映像というものは「てめえをさらけだすこと」でしか成り立たないというのが神代の持つ哲学であり、「人間にくっついた撮り方」をしようと、常に心掛けていた。 また、一条さゆりには現実に検挙が繰り返された経緯等の中で、何か悲壮感のようなものを抱えていて、「一条さゆり 濡れた欲情」でヒモたちが持ち運ぶ大きなトランクは、ストリッパーたちが抱える重荷、枷の象徴として描いたとしている。
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