神代紀・地祇本紀
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『日本書紀』第8段の第6の一書では、「又曰」として、事代主神が八尋熊鰐となって三島溝樴姫(みしまのみぞくいひめ。或いは玉櫛姫という。)に通って生まれた子が姫蹈鞴五十鈴姫命(神武天皇の皇后)であるとする。 『先代旧事本紀』の「地祇本紀」によれば、都味歯八重事代主神(つみはやえことしろぬし の かみ)は八尋熊鰐となって三島溝杭(みしまのみぞくい)の娘活玉依姫(いくたまより-)に通い、以下の三子を生んだという。 天日方奇日方命(あめのひがたくしひがた の みこと、阿田都久志尼命)神武天皇の時代に申食国政大夫となる。三輪氏・賀茂氏の祖。 姫踏韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ の みこと)神武天皇の皇后で、綏靖天皇などの母。 五十鈴依姫命(いすずよりひめ の みこと)綏靖天皇の皇后で、安寧天皇の母。
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