祖父・王帝建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:51 UTC 版)
王帝建は父を探すため唐に渡ろうとした。 王帝建の母である康辰義は、その父を康宝育といい(王帝建の母方の祖父)、康宝育の先祖は春秋戦国時代の衛国の初代康叔である。康叔の長男は衛国の第2代を継いだ。これが衛の康伯である。康叔には次男(康伯の弟)がいて、その67代子孫の康虎景の息子が康忠(68代子孫)である。康忠は、伊帝健・宝甸・宝育の3人の子を儲けた。宝育は正史である『高麗史』によると高句麗の大族であった。宝育は姪の徳州を娶り娘の辰義をもうけたのである。 王帝建は唐に行く途上の黄海で、西海龍王の娘の龍女(後の元昌王后)と出会い、彼女の駙馬(「高貴な女性の夫」の意)となった。王帝建と龍女との間に子の王隆が生まれた。そのため高麗の人々は王室を龍の一族と信じていたが、『聖源録』によれば、西海龍王というのは、中国の平州(遼西・遼東・楽浪あたり)の出身で新羅時代に角干の位(日本でいえば正一位)をもっていた頭恩坫という人物のことである。
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