磯林支隊
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磯林直明少将が率いる磯林支隊は、琿春県方面を担当した。磯林支隊は3個の討伐隊を編成し、同年10月14日夜半から行動を開始した。 同年10月24日午後2時50分、安部大隊の田代少尉率いる歩騎兵30人の掃討隊は、武装組織150人と交戦し、偶然近くにいた羽生支隊の増援も加えて、2時間の戦闘の末撃退したが既に黄昏を見たため追撃を中止した。この集団は崔正国の率いる義軍隊と思われ、この戦闘により日本軍の死傷者はなく、武装組織は遺棄死体5体を残した。 同年11月4日、上坂大隊は三道溝の北方3里の地点で武装組織30人と交戦したが、夜に至ったため追撃の断念を余儀なくされた。この戦闘により、井田君平少尉及び兵卒4人が負傷し、武装組織は琿春韓民会の李明淳を含む遺棄死体3体を残した。 同年11月上旬、金雲瑞の一派が琿春東方の山中にいるとの報告をうけて、同年11月7日に歩兵2個中隊を派遣し、同月9日午後4時30分牛頭山の山麓で30人と交戦し、1時間後に撃退し、日本軍の死傷は兵卒2人、武装組織の遺棄死体は1体。 同年11月30日夜、海村中尉率いる歩兵小隊は金雲瑞が潜伏する駱駝河子を包囲し、金雲瑞を含む2人を射殺したが他は四散し、その際日本軍の兵卒1人が戦死した。
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