石橋智信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 10:00 UTC 版)
人物情報 | |
---|---|
生誕 | 1886年5月15日![]() |
死没 | 1947年12月21日 (61歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 宗教学 |
研究機関 | 東京帝国大学 |
学位 | 文学博士 |
石橋 智信(いしばし とものぶ、1886年5月15日 - 1947年12月21日[1])は、日本の宗教学者。文学博士[2][3]。東京帝国大学教授[1][2][3]。
経歴
- 出生から修学期
1886年、石橋政信の二男として北海道で生まれた[1]。山口高校時代、内村鑑三と植村正久からキリスト教の影響を受けた[1]。東京帝国大学文科大学に進学し、哲学科で学んだ。1909年に卒業[3][4]。
同1909年に渡欧。ベルリン大学神学科で研究し、ベルリンの日本史家オスカーナツホツド博士の助手を務めた。ライプツィヒ大学文明史研究院東亜部助手を経て、同大学神学科に入り、3ヶ年半研究した[2]。ベルリン大学、ライプツィヒ大学の両大学では、宗教学、旧約聖書学を研究した[1]。
- 宗教学研究者として
1914年に帰国し、東京帝国大学講師に就いた。1920年に助教授[1]、1934年に教授昇格[2][3]。1921年、文学博士の学位を取得[2]。1926年、『メシア思想を中心としたるイスラエル宗教文化史』で日本学士院賞を受賞[1]。1947年、東京帝国大学を退官[1]。
信仰の面においては、キリスト教信者であった[1]。1947年に帰天。
受賞・栄典
- 1926年:『メシア思想を中心としたるイスラエル宗教文化史』で日本学士院賞を受賞。
家族・親族
著作
- 著書
- 共著
参考文献
- 『東京帝国大学一覧 明治42-43年』東京帝国大学 1886-1912
- 『東京帝国大学学術大鑑』1940
- 『人事興信録 第13版 上』人事興信所編、人事興信所、1941
- 『人事興信録 第14版 上』人事興信所編、人事興信所、1943
脚注
- 石橋智信のページへのリンク