石垣がない理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:06 UTC 版)
60万石(一説には75万石)の大名の居城であるにもかかわらず石垣を築かなかった理由としては、 近郊に石垣石として耐え得る石材が産出されなかった。 低湿地の軟弱な地盤が石垣の重量を支えられないと判断された。 大砲や銃器の発達など攻城法の変化により、土塁の方が防御上有利であると判断された。 完工を急いだため石垣工事を省略した。 などの説がある。なお、明治初年に本丸付近を撮影したとする写真(絵葉書)が近年発見されているが、これには石垣が写っている。また現在、城址公園に「本丸御殿の礎石」として保存されている石材の中には、建築物の礎石としては不自然な大きさ・形状のものが含まれており、これらを根拠として、少なくとも本丸には石垣が築かれたのではないかとの説もある。 築城前の慶長18年12月24日付政宗宛江戸老中連判状には、来春の高田築城に関して天守台を石垣で築くことを命じている。
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