石倉俊寛とは? わかりやすく解説

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石倉俊寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/25 00:04 UTC 版)

石倉 俊寛(いしくら しゅんかん、1880年明治13年)2月18日[1][2][注 1] - 1975年昭和50年)3月20日[2][3])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍主計少将。島根県松江市長。旧姓は青戸[4][3]

経歴

青戸林平の三男として島根県に生まれ、石倉益蔵の養子となる[4]。島根県第一尋常中学校(島根県立松江北高等学校の前身)、和仏法律学校(現・法政大学)を経て、1901年(明治34年)12月に海軍主計候補生となった[1]。呉経理部第一課長を経て、1926年(大正15年)12月、軍令部出仕と共に海軍主計少将に進み、翌年の1927年(昭和2年)3月、待命し翌月予備役編入となった[5]。雷型駆逐艦「」乗組として日露戦争に出征し、日本海海戦では「出雲」乗組として参戦した[6]

1929年(昭和4年)8月、松江市長に就任し[1]1945年(昭和20年)まで務めた[3]。戦後、公職追放となった[7][注 2]

栄典

勲章等

脚注

注釈

  1. ^ 『講談社日本人名大辞典』144頁では明治13年2月11日生。
  2. ^ 追放事由は「翼賛松江市」。

出典

  1. ^ a b c d e f g 帝国自治協会 1938, 50頁.
  2. ^ a b 福川 2000, 35頁.
  3. ^ a b c 上田ほか 2001, 144頁.
  4. ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 島根2頁.
  5. ^ 福川 2000, 35-36頁.
  6. ^ 福川 2000, 36頁.
  7. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、175頁。NDLJP:1276156 

参考文献




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