矢部定清とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 矢部定清の意味・解説 

矢部定清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 05:25 UTC 版)

 
矢部 定清
時代 戦国時代後期 - 江戸時代前期
生誕 弘治2年(1556年
死没 元和8年5月6日1622年6月14日[1]
別名 掃部[1]
戒名 日覚[1]
墓所 幸国寺[1]
幕府 江戸幕府 細工頭
主君 今川氏真徳川家康秀忠[1]
氏族 駿河矢部氏
父母 父:矢部定則[1]
大岡直吉の妻、定知、仁科宗安の妻、定勝、久保正元の妻、三枝吉勝の妻、大久保忠尚の妻、定成、定政[2]
テンプレートを表示

矢部 定清(やべ さだきよ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。

略歴

矢部氏駿河国有渡郡矢部の武士。戦国時代には同国守護今川氏に仕え、定清も最初は今川氏真に仕えた[1]

天正18年(1590年関東転封された徳川家康に仕官し、武蔵国荏原郡知行を与えられ、文禄元年(1592年)からは家康の嫡男・秀忠の配下となる。慶長元年(1596年)細工頭となり同心5人、慶長6年(1601年上野国緑野郡に加増され同心7人、慶長14年(1609年)所領を下総国千葉郡にまとめられて440石となった。慶長19年(1619年)からの大坂の陣にも参陣した。元和8年(1622年)に死去[1]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

参考文献

 




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  矢部定清のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「矢部定清」の関連用語

1
大久保忠尚 百科事典
14% |||||

矢部定清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



矢部定清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの矢部定清 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS