真理論的様相と認識論的様相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 05:07 UTC 版)
「様相論理」の記事における「真理論的様相と認識論的様相」の解説
様相論理は真理論的(形而上学的、論理的)様相の文脈で語られることが最も多い。この様相においては「~は必然的である」、「~は可能である」といった言明が扱われるが、これは認識論的様相と混同されやすい。 例えば「雪男は存在しているはずがない」という主張と、「雪男が存在することは可能である」という主張は、矛盾無く行うことが可能である。この場合、前者は認識論的様相であり、「(これまでの情報からして)雪男が実際に存在するとは考えられない」という主張とみなしうる。一方、後者は真理論的様相であり「(実際には存在しないのだが)雪男が存在することは可能である」という主張であると解釈することができる。 あるいは、「ゴールドバッハ予想は正しいかもしれないし、正しくないかもしれない」という言明も認識論的である。これは現時点の知識では正しいかどうか分からないということであり、仮にゴールドバッハ予想の証明が存在し、その方法に気付いていないだけだとすれば、真理論的には「正しくないかもしれない」という主張は誤りであることになる。 これ以外の様相としては、時間的なものがある。例えば、「明日雨が降るかどうかは決まっていない」のに対し、「昨日雨が降ったかどうかは決まっている」と考えられる。このようなナイーヴな時間観には同意しない哲学者も多いが、その構造は様相論理によって把握することができる。 さらに「~べきではない」「~してもよい」といった義務に関わる命題も様相論理によって扱うことができる。直感的にも、「~べきではない」と「~してもよい」の関係は「~は必然的である」と「~は可能である」の関係と極めて類似している。義務表現を扱う様相論理は義務論理と呼ばれる。
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