皇太子ルドルフ鉄道および帝国鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 09:38 UTC 版)
「タルヴィージオ - リュブリャナ線」の記事における「皇太子ルドルフ鉄道および帝国鉄道」の解説
1869年2月に、聖バレンティンからタルヴィージオまでルドルフ線を建設・運営するために設立されたKRBはタルヴィスとライバッハを結ぶ鉄道の建設許可を受けた。企画された鉄道の主要経由地はアスリング(イェセニツェ)、クローナウ(クラニスカ・ゴーラ)、フジーネで、線路はクローナウまでサヴァ川と並行した。 この路線は1870年12月14日に開通された。1873年11月25日にフィラッハ - タルヴィージオ区間が開通された後に、プラハとライバッハの間の新しい鉄道連結が生成した。タルヴィソ駅は開通年にはタルヴィージオ・ボスコヴェルデ駅の現在位置に設置された。新駅である現在のタルヴィージオ中央駅は、フィラッハ - タルヴィージオ区間が開通された際に、この路線と接続された。その故に、旧タルヴィソ駅として知られた最初の駅は廃駅となった。 1884年、KRBの財政危機の後、皇太子ルドルフ鉄道路線は国家により引き受けられて、鉄道路線の近代化を進めたオーストリア帝国鉄道によって運営された。 1906年にアスリング駅は新アルプス鉄道の連絡駅となった。ラーヴァンケン鉄道が開通された際に、フィラッハからトリエステへ向かったアルプス横断列車は、しばらくタルヴィソ - アスリング区間を経由した。
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