白登山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 13:01 UTC 版)
座標: 北緯40度07分58秒 東経113度23分02秒 / 北緯40.13274度 東経113.38384度
- 1 白登山の戦いとは
- 2 白登山の戦いの概要
- 3 経過
- 4 脚注
白登山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:42 UTC 版)
詳細は「白登山の戦い」を参照 冒頓が北の渾庾、屈射、丁零、鬲昆、薪犁といった諸族を服属させた頃、中原では漢の劉邦が楚漢戦争を終結させて皇帝の座に就いていた(高帝)。紀元前200年に匈奴は馬邑城の韓王信を攻撃し、降伏させることに成功した。匈奴はそのまま太原に侵入し、晋陽に迫った。そこへ高帝率いる漢軍が到着するが、大雪と寒波に見舞われ、多くの兵が凍傷にかかった。冒頓は漢軍をさらに北へ誘い込むべく偽装撤退を行うと、高帝は匈奴軍を追った挙句に白登山へ誘い込まれ、7日間包囲された。高帝は陳平の献策により冒頓の閼氏(中国語版)(えんし:単于の母、妻)を動かして攻撃を思い止まらせその間に逃走した。これ以降、漢は匈奴に対して毎年貢物を送る条約を結び、低身外交に徹した。
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