発刊までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/06 15:39 UTC 版)
創刊1周年を迎えた第一巻第十二号に掲載の得能正通による回顧録によると、当初の雑誌名は『備後郷土史壇』、目的を「専ら郷土の史跡名区山川池海方物土産習俗慣例偉人傑士の事蹟、沿革、現勢を調査研究し、または説明発表せんがため」とし、1924年(大正13年)11月27日付に内務大臣若槻禮次郎に出願。同年12月11日付で出版許可を得た。諸事情により雑誌名を『備後史談』に変更する旨を12月14日付で届出。続けて1925年(大正14年)1月6日付で広島逓信局に対し第三種郵便物の出願を行い、同月21日付けで2月15日発行の第2号から第三種郵便物として認可された。第1号は郵便物認可を待たずに1月15日付で出版されたため、郵送の場合は第四種郵便物として扱われた。
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