町奉行支配外の農民・町方の人口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:54 UTC 版)
「江戸の人口」の記事における「町奉行支配外の農民・町方の人口」の解説
文政元年(1818年)に朱引・墨引が定まると、江戸御府内(朱引内)でありながら町奉支配に入らない、地域(墨引外)が発生した。これらの地域は武家屋敷と武家所領、寺社門前地と寺社所領などから構成され、御府内であっても一部代官支配体制が続いており、武家屋敷と共にかなりの農地が存在し、また一部町屋を形成していたとみられる。 鷹見安二郎(1940年)は、文化・文政期の1810〜1830年頃に編纂された『新編武蔵風土記稿』を元に、住宅密集地区外に点在する民家を約9500戸程度と見積もり、1戸4.5人として約4万2750人、これに若干の寺社を加えて約4万3000〜4万4000人程度と推定した。 但し他の研究者はこれら郊外の人口を江戸の都市人口とはみなさず、江戸の人口に合算していない。
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