甲州勝沼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:48 UTC 版)
迅衝隊は、因幡藩兵と共に甲州街道を進軍し、1868年(慶応4年)3月5日甲府城入城を果たすと、板垣退助らは「武田の遺臣が甲府に帰ってきた」と、徳川施政に苦しむ領民に大歓迎で迎え入れられ、直ちに旧武田遺臣の子孫の浪人や神官、長百姓らで構成された「断金隊」や、甲斐の郷士らで構成された「護国隊」が自主的に組織され官軍への協力を願い出た。翌3月6日大久保大和(近藤勇)の率いる甲陽鎮撫隊と甲州勝沼で合戦し、洋式兵法にも精通していた迅衝隊がこれを撃破した。戦闘が始まって僅か二時間で決着がつき、甲陽鎮撫隊は山中を隠れながら江戸へ敗走した。
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