田口電灯時代
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1909年(明治42年)1月、豊橋市の豊橋電気によって、豊橋方面に送電する発電所が置かれた南設楽郡作手村(現・新城市)の集落に電灯がつけられた。これが奥三河で最初の電灯である。その後豊橋電気によって南設楽郡新城町、大野製材(後の大野電気)によって八名郡大野町でも供給が始まる。さらに北設楽郡においても、1914年(大正3年)4月21日付で田口町(現・設楽町)の田口電灯が電気事業の許可を取得した。 田口電灯が許可を得た当初の供給区域は田口町とその西の名倉村(現・設楽町)、南の南設楽郡海老町(現・新城市)の3町村。許可後の1914年6月5日、田口電灯は合名会社組織(田口電灯合名会社)として田口町大字田口字居立に設立された。出資は計2万円。社員は12人で、供給区域3町村のほか東加茂郡松平村(現・豊田市)・西加茂郡高橋村(同)・碧海郡旭村(現・碧南市)の人物も名を連ねる。開業は3年後の1917年(大正6年)3月21日。この時点では北設楽郡で唯一の電気事業である。電源となる水力発電所は名倉村を流れる大名倉川(豊川最上流部)に建設され、その出力は30キロワットであった。
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