生没年と父親・夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:28 UTC 版)
『伝燈録』には、遷化は永仁6年11月28日で没年齢は76歳、父親は安達泰盛、夫は金沢越後守某と記される。このうち没年齢の76歳は、鎌倉・南北朝時代の史料『無象和尚語録』でも確認できるので誤りの可能性は低い。しかし没年については他資料との矛盾が指摘されている。『仏照禅師語録』には、無外如大の没後に白雲慧暁が拈香などを行ったと記されているが、白雲慧暁の没年は永仁5年であり、無外如大の没年が永仁6年とは考え難い。 また、この『伝燈録』による生没年が正しいとすると、無外如大は父の泰盛よりも年上となり、ここでも矛盾が生じる。これについて関靖(1951年)は、父親を泰盛の祖父・安達影盛の誤記と推測し、また、山家浩樹(1998年)は、父親と夫についての記述は同号(無着)の別人の事績が混同されたと推測している。なお山家は、無外如大に関連する寺院の由緒などから、無外如大を足利尊氏の母・上杉清子の縁者と推測している。
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