生徒権宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 14:44 UTC 版)
「東京都立竹早高等学校」の記事における「生徒権宣言」の解説
1969年5月、竹早高校学内で学年主任の3名の教員を中心に学校ぐるみのリベート事件が明るみに出た。「竹早高校リベート事件」としてマスコミや国会の文教委員会(当時)にも取り上げられ、3名の教員はじめ(1名は懲戒免職処分)、殆どの教職員が処分を受ける事態となった。連日全校集会が続き、学校の機能は一時完全に停止した。 この年、小森陽一は1年生ながら生徒会長に選出され、事件発覚後、リベート事件の責任追及と学内改革の目的から全校ストを組織。教師らを土下座させ、「授業の内容、教師の講義方針に関しては教師・生徒間の話し合いにより決定する」、「生徒に関する諸規則は生徒が定め、生徒が管理する」といった内容の「生徒権宣言」を学校側に受諾させた。1994年度までは生徒手帳に記載されていた。 生徒権宣言が出せれた22日後には見解も出された。[リンク切れ]
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