現象論段階の認識の重要性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:32 UTC 版)
「堀内利国」の記事における「現象論段階の認識の重要性」の解説
板倉聖宣はさらに「堀内利国が現象論的法則性を認識できた」ことについても高く評価し、えてして科学研究では「現象論」は低く見られることが多いが、現象論的な法則の研究が新発見には重要だと指摘した。板倉は「1回きりの事実は現象論的法則とは違う」として、現象論的法則とは単なる事実とは違う「何回繰り返しやってもいつも同じようになる法則的な事実」であり、「何度やってもそうだ」という法則の重要性が分かることが新発見につながる、と述べた。堀内利国は監獄の状況を調べることで「どこの監獄でもくりかえし同じ現象が起きている」ことを認識して、麦飯の効果を現象論的法則として認識でき、大阪鎮台での実験に臨むことができた。 そしてこのような現象論的法則が確立して、初めて「なぜ麦飯や玄米が脚気に効くのか」が問題になり、そこから「玄米中のどんな成分が脚気に効くのか」という研究が発展し、「ビタミンB1という物質=実体」が発見され、脚気の研究が実体論段階に達したのだと指摘した。 板倉はさらに「脚気の原因が解明されていなかった時期には、いきなりその病気の原因である実体を極めることはできない」から「麦飯とか玄米が脚気に効く」という現象そのものを明らかにすることが必要であったのに、当時の東京大学医学部の教授たちや陸軍軍医本部の森林太郎(鷗外)たちは「なぜだか分からないが脚気に麦飯が効く」という現象論的法則を非科学的であると攻撃し、結果的に日清戦争や日露戦争で何万もの兵士を脚気で死なせたことを批判した。
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