王国維説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 05:36 UTC 版)
王国維は、『史籀篇』を西周時代の著作とすることに疑問を呈し、おそらくは『史籀篇』の史籀とは作者の名前ではなく、『蒼頡篇』・『急就篇』と同様に冒頭の1句から取ったものに過ぎないだろうという仮説を述べた。王国維によると、『史籀篇』の最初の1句はおそらく「大史籀書」であり、この「籀」は「読む」という意味の動詞で「太史が書を読む」という意味だったのが、のちに「太史籀の書」と誤解されたために、実在しない史籀という人物が生まれてしまったのだという。 文字の上でも、『説文解字』に「籀文」として載せる字が220字ほどあるが、これらは西周の字というよりは小篆に近く、石鼓文と秦の刻石の中間にあたるとして、王国維は籀文を始皇帝以前の秦の文字であり、古文が東方の文字であるのに対して西方の文字であると考えた。
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