玉野市長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:31 UTC 版)
玉野市長2期目の2010年3月、市議会に、自らの任期を3期12年を超えないとする条例案を自ら提案したが否決された。黒田は、市長を退任する際も「市長たるものは一定の期間で(任期を)とどめるものではないか」「次の方にバトンを渡すべきだ」と述べた。 就任当初ゼロに等しかった市の貯金にあたる基金を50億円前後まで引き上げるといった行財政改革に取り組んだ。 4期目では、玉野市民病院と三井病院を統合した地方独立行政法人・玉野医療センターを発足させ、統合により経営基盤を強化して地域医療の維持を図り、2024年度に新病院を開院する計画を立てた。また老朽化した玉野市消防本部と各出張所の再編整備や玉野競輪場を全国初のホテル併設の競輪場へリニューアルを行い地方創生にも取り組むなど、積極的に市の公共施設の再編整備を進めた。
※この「玉野市長時代」の解説は、「黒田晋」の解説の一部です。
「玉野市長時代」を含む「黒田晋」の記事については、「黒田晋」の概要を参照ください。
- 玉野市長時代のページへのリンク