玉里島津邸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:07 UTC 版)
現在の校舎は島津斉興や島津久光が住んだ玉里島津邸の跡地に建てられている。この邸宅は1835年(天保6年)に斉興によって造営され、明治維新後も島津家の人々が住んでいたが、第二次世界大戦で邸宅は焼失した。その後1951年(昭和26年)に鹿児島市が敷地を買収し、1959年(昭和34年)に同校が移転してきた。 現在は庭園(国の名勝、指定名称旧島津氏玉里邸庭園)や、茶室(市の文化財)、武家長屋、長屋門のほか、黒門という1887年(明治20年)12月18日に行われた久光の国葬のために築造された門が現存しており、同校の生徒がこれらの施設を毎日清掃している。一般にも開放されており、見学は無料。
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