玉里邸の造営と紙屋谷地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 13:48 UTC 版)
かつては、鹿児島郡伊敷村大字下伊敷(現在の鹿児島市下伊敷)の紙屋谷地区であり、紙屋谷地区には江戸時代の製紙業者が居住していた。 天保4年(1833年)には島津斉興によって「玉里邸」が造営され、「天保城下絵図」には「玉里お茶屋」として掲載されている。安政2年(1855年)に島津斉興が隠居し玉里邸に居住した。1877年(明治10年)には島津斉興の子であり、薩摩藩国父であった島津久光は居城であった鹿児島城が焼失したことにより、玉里邸に移り住んだ。
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