玉蟲文一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 玉蟲文一の意味・解説 

玉虫文一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 04:35 UTC 版)

玉蟲 文一
人物情報
生誕 (1898-10-18) 1898年10月18日
日本宮城県仙台市
死没 1982年7月26日(1982-07-26)(83歳没)
日本長野県長野市
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 物理化学
研究機関 武蔵高等学校東京帝国大学東京女子大学
学位 理学博士(東京帝国大学)
テンプレートを表示

玉蟲 文一(たまむし ぶんいち、1898年10月18日 - 1982年7月26日)は、日本物理化学者、東京大学名誉教授。

生涯

朝敵の家

1898年、宮城県仙台市生まれ。玉蟲家は仙台藩士であったが、幕末の奥州戦争時に文一の曾祖父にあたる玉虫左太夫奥羽越列藩同盟結成の政略に参画したことから、左太夫は朝敵として捕らえられ切腹させられ、家財没収、家名は断絶されていた[1]。このために、左太夫の娘と孫、文一にとっては祖母と母は辛酸をなめるような生活を送った。1889年、家名の復興はゆるされ、独身であった母のところに古内龍之進が連れ子(文一の義兄になる)を連れて養子となり玉蟲家が再興された。女児が生まれたが夭折したために、やがて文一が玉蟲家を継ぐことになる[1]

玉蟲家には財産もなく、仙台のような地方都市には仕事も少ないために、父は単身東京に出、さらに伝手をもとめて朝鮮・中国方面へ出稼ぎに出た。この父はもう仙台に戻りそうにないというので、母は文一を連れて東京に移り、父の兄で文一にとっては伯父にあたる古内小太郎の家に寄寓した。父は文一が9歳の年に京城で急病を発して死去した。伯父も間もなく病死した[1]

理研

1916年に府立一中を卒業し、第一高等学校に進んだ。東京帝国大学理学部に進み、理学部化学教室で片山正夫に師事した。1922年に東京帝国大学を卒業。卒業後は、理化学研究所で恩師の片山正夫研究室の助手として界面化学を研究。1924年、武蔵高等学校教授に任命された[2]

ドイツ留学

1935年、東京帝国大学に学位論文を提出して理学博士号を取得[3]。1936年より根津化学研究所所長を兼任した。1941年、アメリカ科学振興協会のフェローに推薦された。

戦後

1949年、旧制武蔵高等学校の廃止に伴って東京大学教養学部教授となった。1959年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、東京女子大学教授として教鞭をとった。1969年に東京女子大学を退職。同年からは再び武蔵学園で教鞭をとり、あわせて根津科学研究所の所長に復帰した(翌1970年からは名誉所長)。1982年、北軽井沢にて死去[4]

受賞・栄典

  • 1952年:第一回化学教育賞を受賞。
  • 1975年:ドイツ・コロイド学会よりウォルフガング-オストワルト賞を授与。

研究内容・業績

家族・親族

著作

著書

共編著

翻訳

玉蟲文一に関する参考資料

  • 畑野勇「根津化学研究所初代所長・玉蟲文一の足跡と学問観・教育観」[6]
  • 伊能敬「玉蟲文一先生のご逝去を悼む」年譜
  • 『日本人名大辞典、駒場の50年』 

脚注

  1. ^ a b c d 玉虫『一化学者の回想』1978年、7-9頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12188173/1/8 
  2. ^ 玉蟲の教授就任は、当時武蔵高校の顧問であった山川健次郎が、片山教授に化学教員の適任者の推薦を依頼し、片山が玉蟲を推薦したことによるという。(『科学・教育・随想』岩波書店、1970年)
  3. ^ NAID 500000038050
  4. ^ 伊能敬「玉蟲文一先生のご逝去を悼む」
  5. ^ 星亮一『山川健次郎伝』あとがき
  6. ^ 武蔵学園百年史

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「玉蟲文一」の関連用語

玉蟲文一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



玉蟲文一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの玉虫文一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS