版画との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 04:00 UTC 版)
ヌエットの家には、デュシェーヌ・ド・ベルクール(フランスの駐日総領事1859-1864)が集め、その姪からヌエットの母へ譲られた歌川広重の版画のコレクション(『江戸名所百景』)があった。少年だったヌエットはその版画を目にしていたが、後年自分がそこに描かれた国に行き、自身も風景版画を手掛けるとは想像もしていなかった。1935年、静岡高等学校時代の教え子の実家で版画商、土井版画店に絵を見せると木版画の出版を打診された。ヌエットは喜んで承諾し、これまでのスケッチを見直してお気に入りの場所から20数カ所を選び、大判版画の大きさで絵を描いた。そのペン画を土井版画店の土井貞一は新版画として出版したのであった。1936年3月に土井版画店から版行された「東京風景」24点のシリーズは、池田という彫師が版を彫り、横井という摺師が摺りを行っていた。価格は1枚3円で、毎月2枚ずつ1年かけて出版された。彼は広重の影響で色彩画の版画も試み、それは売れるようになった。友人たちはヌエットを、「広重四世」だと呼んでくれた。彼は高所から書くことを好んだが、それは、かつて朝日新聞社の屋上から見た風景に魅せられたためである。
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