父・シングンオペラ
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「シングンマイケル」の記事における「父・シングンオペラ」の解説
父のシングンオペラは船橋競馬場・岡林光浩厩舎でデビューし、船橋時代から中央競馬の芝レースに挑戦、共同通信杯でジャングルポケットの4着に入ったのち高市厩舎に転厩し、転厩後もアルゼンチン共和国杯で3着に入るなど、若竹賞で7着だった以外は掲示板に入る成績をおさめていた。しかし、2002年4月の条件戦で13着のあと両前脚の腱断裂が判明して競走能力を喪失し、一時は安楽死処分も検討されたものの伊坂の願いもあって1年もの療養生活を経た末に命永らえて種牡馬となり、年1、2頭の生産ペースながら、2019年3月に亡くなるまで種牡馬生活を送っていた。JRA転入後のシングンオペラを管理していた高市は、JRAに登録されたシングンオペラ産駒17頭のうち15頭を管理していたほか、シングンオペラの兄でオーナーも同じ伊坂のテンショウメイジンも管理しており、こちらも1997年の中山大障害(春)でポレールの5着という成績を残している。
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