燻乾法以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 07:41 UTC 版)
飛鳥時代(6世紀末-710年)の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定される。うち「堅魚」は、伊豆・駿河・志摩・相模・安房・紀伊・阿波・土佐・豊後・日向から献納されることとなった。 現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代(1338年以降)である。1489年のものとされる『四条流庖丁書』の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられる。 「鰹節」が文字として文献に登場する最古の資料は、1513年(永正10年)に臥蛇島から領主の種子島家への貢物に関して記したもので「かつおぶし」とある。
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