燕市における金属加工業の歴史とは? わかりやすく解説

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燕市における金属加工業の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:10 UTC 版)

燕市」の記事における「燕市における金属加工業の歴史」の解説

17世紀初頭毎年のように起こる風水害疲弊した三条・燕地域領民を救うため、三条城在任していた出雲崎陣屋代官大谷清兵衛が、江戸から和釘鍛冶職人招き農民副業として和釘製造奨励した。これが燕鍛冶始まりである。その後度重なる江戸の大火和釘需要甚だしく増え生産繁忙極めた和釘のほかにも自家用鋸の目立用の刃鈩、仙台出身藤七という名の人物始めた銅器江戸会津から伝わった煙管矢立製造始められた。 明治時代以降東京横浜では大災害大火があり、和釘需要はさらに拡大したが、燕・三条など国内生産だけでは間に合わなかったことから、洋釘が導入され、これをきっかけ和釘需要減り明治20年代には洋釘にほとんど取って替わられた。これによって、燕の主力産業であった和釘鍛冶業は、鈩、煙管銅器矢立彫金など、他の金属加工業種への転業余儀なくされた。銅製品は「燕物」と呼ばれ、もともと和釘とともに高い評価受けており、明治後期には銅器・鈩・煙管業界盛況極めた

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