熱日高彦神社とは? わかりやすく解説

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熱日高彦神社

読み方:アツヒタカヒコジンジャ(atsuhitakahikojinja)

別名 お日高さん

教団 神社本庁

所在 宮城県角田市

祭神 天津日高比古火廼邇邇命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

熱日高彦神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 10:14 UTC 版)

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熱日高彦神社
所在地 宮城県角田市島田字四拾刈12
位置 北緯37度56分15.4秒
東経140度49分56.1秒
座標: 北緯37度56分15.4秒 東経140度49分56.1秒
主祭神 天津日髙比古番能邇邇芸命
日本武尊
社格 式内社(小)
郷社
伊具郡惣社
創建 (伝)景行天皇の時代
本殿の様式 流造
例祭 4月6日
地図
熱日高彦神社
熱日高彦神社 (宮城県)
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熱日高彦神社(あつひたかひこじんじゃ)は、宮城県角田市にある神社である。旧社格郷社式内社であり、伊具郡惣社である。

祭神

由緒

社伝によると、景行天皇の皇子である日本武尊が勅命により東国へと向かった。道中伊具の地に至り、古来よりの聖地であった大森山の山裾に祭場を設けて、大和朝廷の祖神である邇邇杵命を祀ったのがはじまりだと伝わる。その後、日本武尊は都への帰途についたが薨去するに及び、景行天皇は皇子の功績を偲び、勅命により社殿を建てて邇邇杵命に併せて日本武尊を祀ったという。

延喜式神名帳において、熱日高彦神社は陸奥国内の式内社百座のうちの一座とされた。伊具郡誌によれば、熱日高彦神社の神体は、延喜帝の勅命により山城国の如意寺で鋳造された銅仏であるという。江戸時代には、熱日高彦神社は伊具郡の惣社とされていた。熱日高彦神社から西に4kmの場所には伊具郡衙の跡である郡山遺跡がある。明治5年(1872年)には、伊具郡内で唯一の郷社に指定された。

春の例大祭では、以前は熱日高彦神社に丸森町小斎の鹿島神社(祭神:武甕槌神)と角田市尾山大谷地区の香取神社(祭神:経津主神)の神輿が集結し、三社の神輿が連なって渡御を行っていた。現在は香取神社の神輿と合同での渡御が行われている。

熱日高彦神社は、子宝・産育、武術・政治、鎮火、農業、交通安全の神徳がある神社として信仰を集めている。

境内

  • 社殿(拝殿・幣殿・本殿)

参考文献

  • 「熱日高彦神社参拝のしおり」(熱日高彦神社社務所)
  • 「伊具郡誌「」 (1996年 伊具郡教育会)
  • 「解き明かされる日本最古の歴史津波」飯沼勇義 2013/03 鳥影社

関連項目

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