熊楠の見た神島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:45 UTC 版)
「神島 (和歌山県)」の記事における「熊楠の見た神島」の解説
1983年の調査が行われた理由の一つに、その頃に南方熊楠の再評価が行われ、そこから熊楠による神島の調査に見直しが行われた点がある。熊楠の調査には「こやま」と「おやま」の「顕著な樹木」すべての位置と種名が記されていることになっているが、それと実際に見られる樹木に違いがあった。そのため、同様の調査が行われた。その結果わかったことは、タブノキとアキニレ、それにクロマツなどが大きく減少したこと、それに対してホルトノキ、イヌマキ、エノキなどが増加していた。クロマツについてはこの間の松食い虫被害によると考えられる。タブノキについては、大径の木があったことが枯れて腐った株の痕跡から確認できた。「おやま」には朽ち木で径100cm、150cmのものがあった。ここから、後藤らは熊楠の調査以降のジェーン台風、室戸台風、第二室戸台風の被害があり、それによってこれらの大木が被害を受けて枯死し、それによるギャップにパイオニア的樹木が育った結果であろうとする。つまり、タブ林が壊れてその代償植生としてホルトノキ林が生まれたという。ただし、たかだか数十年に一度程度の規模の台風でおそらくそれよりはるかに長い寿命を持つ樹木が軒並み倒れる、というのは納得できないとして、熊楠の保存運動の際にすでに「こやま」の大木が伐採されたことが何らかの影響を与えた可能性にも言及している。
※この「熊楠の見た神島」の解説は、「神島 (和歌山県)」の解説の一部です。
「熊楠の見た神島」を含む「神島 (和歌山県)」の記事については、「神島 (和歌山県)」の概要を参照ください。
- 熊楠の見た神島のページへのリンク