焼き討ちと略奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:45 UTC 版)
「ノーフォーク焼き討ち」の記事における「焼き討ちと略奪」の解説
1776年元日、ハウの衛兵はいつも通りパレードを行った。午後3時から4時の間にイギリス艦隊の4艦から町に対する砲撃が開始された。4艦で100門以上の大砲があり、夕方になっても砲撃は続いた。上陸部隊が派遣され、食料を調達する者もあれば、愛国者側狙撃兵が艦隊に発砲する拠点として使っていた建物に火を付ける者もいた。イギリス軍の動きはうまく統制が取れていなかったが、水際の大半を火炎に包ませることには成功した。 愛国者部隊は上陸部隊に抵抗はしたが、火災を止めようとはしなかった。火はおりからの風で広がった。艦砲射撃が始まった後、土地の蒸留酒製造所を含めロイヤリストの資産が愛国者部隊による焼き討ちと略奪の標的になった。イギリス軍はその日の行動を止めたが、火は燃えさかり続けた。翌朝ハウ大佐は「町全体が1日か2日のうちに焼尽に帰してしまうのではないかと思う」と報告した。町を占領する愛国者部隊による焼き討ちと略奪は3日間続いた。引き揚げ命令が出された時までに、町の大半は破壊された。
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