瀬田掃部とは? わかりやすく解説

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瀬田掃部

読み方せた かもん

桃山時代武士茶人。名は正忠、伊繁。はじめ小田原北条氏に、のち豊臣秀吉仕え近江国瀬田本貫地とした。千利休茶の湯学び利休七哲一人数えられる大ぶりの平高麗茶碗掃部形と呼ばれる茶杓愛用したことが知られている。文禄4年(1595)歿、48才。

瀬田正忠

(瀬田掃部 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 01:11 UTC 版)

瀬田 正忠(せた まさただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将豊臣氏の家臣。茶人として利休七哲に数えられ、官位に由来する「瀬田掃部」という名乗りで知られる。


  1. ^ 武蔵国の出で、後北条氏に仕えていた説、近江国瀬田の出という説がある。
  2. ^ 秀吉の朝鮮出兵に強く反対していたという説もある
  3. ^ 平碗に水を入れ、琵琶湖に見立て、茶杓を瀬田の唐橋に見立て、その中に茶巾を入れて絞るという涼しげな作法。「洗い茶巾」とも。


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