瀧昇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 15:15 UTC 版)
瀧 昇 | |
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生誕 | 1894年2月6日![]() |
死没 | 1984年12月3日(90歳没) |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | ![]() |
瀧 昇(たき のぼる、1894年(明治27年)2月6日 - 1984年(昭和59年)12月3日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
岡山県出身[1][2]。1915年(大正4年)陸軍士官学校第27期卒業[1][2]。
1940年(昭和15年)3月に陸軍航空兵大佐に任官し、同年5月に飛行第58戦隊長(航空兵団、第2飛行集団、第8飛行団)として大東亜戦争に出征[1][2]。2年後の1942年(昭和17年)4月に第4飛行師団兵器部長(関東軍、第2航空軍)に転じ、1943年(昭和18年)9月に所沢陸軍航空整備学校立川教育隊長、1944年(昭和19年)12月に第6航空軍兵器部長(航空総軍)を経て、1945年(昭和20年)6月に陸軍少将に進級[1][2]。さらに翌月、関東軍航空廠長に任ぜられた[1][2]。
1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[3]。
著作
- 述『欧洲大戦に於ける爆撃隊戦史講授録』軍事学指針社、1936年。
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
瀧昇(りゅうしょう)
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