海南島事件
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海南島事件(かいなんとうじけん、簡体字中国語: 中美撞机事件、英語: Hainan Island Incident)は、2001年4月1日に海南島付近の南シナ海上空で、アメリカ合衆国と中華人民共和国(中国)の軍用機が空中衝突した事件である[1][2]。中国側の戦闘機が墜落しパイロットが行方不明になったほか、アメリカ側の電子偵察機も損傷して海南島に不時着し、パイロットは中国側に身柄を拘束された[2][3][4]。この事件により、一時的に米中関係の軍事的緊張が高まることとなった[5][6][7][8][9]。
事件の概略
2001年4月1日午前8時55分(中国標準時)、海南島から東南に110キロメートルの南シナ海上空の中国の排他的経済水域上で、中国国内の無線通信傍受の偵察活動をしていたアメリカ海軍所属のEP-3E電子偵察機と、中国人民解放軍海軍航空隊所属のJ-8II戦闘機が空中衝突する事故が発生した[1][2][3]。
中国人民解放軍のJ-8IIは墜落し、パイロットが行方不明になった[3][10]。一方のアメリカ海軍のEP-3Eも大きな損傷を負い、至近の海南島の飛行場に午前9時33分に不時着した[3]。EP-3Eは抑留され、搭乗員は中国当局によって身柄を拘束された[2][3]。
なお、このときに中国側のパイロットである王偉が最後に残した言葉として、「81192コピー。私はもう帰還できない。君たちは続けて前進せよ。」が有名となっている。この「前進」は、中華人民共和国国歌「義勇軍進行曲」にも見られ、国家を発展させるという意味合いだと思われる。
事件の反応

この時期の米中関係は険悪なものであった。これは1999年のコソボ紛争でNATO軍の一員として武力制裁(アライド・フォース作戦)に参加していたアメリカ軍のB-2爆撃機が、ユーゴスラビア連邦共和国(当時)の首都ベオグラードにあった中国大使館を爆撃した事件(アメリカ合衆国による在ベオグラード中国大使館爆撃)によるもので、中国国内では対米感情が悪化していた[11][12][13][14][15][16][17][18]。また、アメリカのブッシュ政権は、中国を冷戦後の「戦略的競争相手」として将来的な軍事的脅威になると主張したため、米中間の軍事緊張が高まっていた矢先の出来事であった[19][20]。
この事件について、中国政府はアメリカ軍機の領空侵犯と故意的な急旋回が中国機との衝突を招いたと非難した[21][22]。これに対しアメリカ政府は、衝突の原因は中国人民解放軍機の挑発行為であると反発し、搭乗員と機体の即時返還を要求した[23][24][25]。
後日、米国は中国に謝罪する二通の書簡をおくり、5月24日に機体返還の合意が発表された[26][27]。4月12日に乗員も釈放され、事件は決着をみた[28][29][30][31]。
事件後
返還されたEP-3E電子偵察機は不時着までに収集した情報などは抹消したと思われるが、中国側によって機体調査が行われたため、アメリカ軍は偵察システムの変更を余儀なくされたともいわれている。
結果的に、事件の原因は米中のいずれまたは双方に原因があったのか、偶発的に発生した事件なのかは明らかではない[32][33]。アメリカ同時多発テロ事件後は米中が協調し始め、ブッシュ政権は中国を「戦略的競争相手」から「責任ある利害共有者」に位置づけを変えた。
脚注
- ^ a b 「中国:戦闘機が米偵察機と接触 南シナ海上空」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月1日。オリジナルの2001年4月17日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ a b c d 「中国機が米軍機と接触、墜落」『朝日新聞』朝日新聞社、2001年4月1日。オリジナルの2001年4月5日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ a b c d e 「米偵察機:南シナ海上空で中国戦闘機と接触 米乗員拘束か」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月2日。オリジナルの2001年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:米軍乗組員と大使館員の面会許可 中国政府」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月3日。オリジナルの2002年3月6日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:米中間の交渉はさらに複雑化しそう」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月3日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:米大統領が中国に警告 関係悪化も」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月4日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:江主席が米側に謝罪要求 長期化もやむなし」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月4日。オリジナルの2001年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:米議会の対中批判が強まる 米中対立は第2幕へ」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月12日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:ブッシュ大統領が中国批判 「反撃」開始か」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月13日。オリジナルの2001年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:中国、不明パイロット捜索続行 米をけん制」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月5日。オリジナルの2001年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「ユーゴ空爆:南部の都市爆撃 病院などを破壊 6人死亡」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月7日。オリジナルの2001年4月18日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「コソボ紛争:中国大使館誤爆 中国がNATOを強く非難」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月8日。オリジナルの2001年2月23日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「コソボ紛争:中国大学生らが数万人規模の抗議デモ 大使館誤爆」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月9日。オリジナルの2000年10月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「コソボ紛争:中国各紙「中国の主権への侵犯」NATO強く非難」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月9日。オリジナルの2000年10月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「中国デモ:NATOに抗議 10日も各地と香港で継続」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月10日。オリジナルの2000年10月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「コソボ紛争:空爆停止ないなら国連で応じられず 中露会談」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月11日。オリジナルの2001年2月18日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中関係:「江主席は米政府の謝罪受け入れを」--米国防長官」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月12日。オリジナルの2001年3月8日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「コソボ紛争:中国・江沢民主席が米大統領との電話会談に応じる」『毎日新聞』毎日新聞社、1999年5月14日。オリジナルの2000年10月11日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「中国:銭副首相が訪米へ ブッシュ大統領らと台湾問題など協議」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年3月5日。オリジナルの2001年11月19日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:偵察機早期返還に中国側が応じるかが焦点」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月2日。オリジナルの2001年6月30日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:「事故の責任は完全に米側」と非難 中国外務省」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月2日。オリジナルの2001年8月21日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:江国家主席「米国に責任」 偵察飛行中止を要求」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月3日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:中国に乗員や機体の早期返還を要望 米側」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月2日。オリジナルの2003年8月19日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:中国側の対応を批判 米太平洋軍司令官」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月2日。オリジナルの2001年8月21日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:偵察機、乗員の迅速な返還求める 米大統領声明」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月3日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ “CNN.com”. CNN. (2001年4月11日)
- ^ 「米中軍機接触:国務長官が領空侵犯認め、おわび 新華社電」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月11日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:両国政府が乗員24人の中国出国を合意」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月11日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:乗員24人全員が12日にも出国へ」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月12日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:米乗員、グアム経由でハワイに向かう」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月12日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触事故:乗員24人がハワイに到着、歓迎受ける」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月13日。オリジナルの2001年11月9日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:米偵察機の目的は中国の地下核実験か 米紙報道」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月9日。オリジナルの2001年4月18日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
- ^ 「米中軍機接触:米偵察機もたびたび挑発的な行動 新華社報道」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年4月9日。オリジナルの2001年4月18日時点におけるアーカイブ。2025年6月4日閲覧。
関連項目
外部リンク
(いずれも英語)
海南島事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:25 UTC 版)
2001年4月1日には、南シナ海(公海)上空で、人民解放軍海軍所属の戦闘機J-8IIとアメリカ海軍所属の電子偵察機EP-3Eとが空中衝突し、人民解放軍海軍の戦闘機が墜落、米海軍の電子偵察機が不時着するという事件が起きた(海南島事件)。
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