浅田良逸とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 浅田良逸の意味・解説 

浅田良逸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 13:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
浅田良逸

浅田 良逸(あさだ りょういつ、1879年明治12年)5月18日[1] - 1958年昭和33年)4月8日[2])は、大日本帝国陸軍軍人、最終階級は陸軍中将貴族院男爵議員。旧姓・笹森。

経歴

青森県弘前で笹森要蔵の五男として生まれ、陸軍大将男爵浅田信興の養子となり[3]1927年(昭和2年)6月1日に男爵を襲爵した[4][5]

1899年(明治32年)11月21日陸軍士官学校(11期)を卒業後、1900年(明治33年)6月22日に歩兵少尉に任官[4][6]日露戦争に従軍し、陸軍大学校(22期、1910年11月卒業[7])に学び、1929年(昭和4年)8月1日に陸軍中将に至った[4][8]。その間、近衛歩兵第2旅団副官、近衛歩兵第3連隊中隊長、参謀本部部員、陸軍歩兵学校研究部部員、歩兵第57連隊大隊長、教育総監部部員、陸軍大学校教官、歩兵第7連隊長、第11師団参謀長、歩兵第33旅団長、近衛師団司令部附、東京湾要塞司令官などを歴任した[2][4]1931年(昭和6年)8月29日、予備役に編入[2][6]

1932年(昭和7年)7月15日、貴族院男爵議員に選出され[9]公正会に属して活動し1946年(昭和21年)4月7日まで在職した[2][10]

なお、戦時中には、弟笹森順造が塾長をつとめた 東奥義塾の塾長に赴任している[3]

栄典

位階

親族

脚注

  1. ^ 大衆人事録 1930.
  2. ^ a b c d 議会制度七十年史 1960.
  3. ^ a b 東奥日報社 2002, 10頁.
  4. ^ a b c d 人事興信録 第11版 1937.
  5. ^ 『官報』第126号、昭和2年6月2日。
  6. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』156-157頁。
  7. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、557-558頁。
  8. ^ 『日本陸軍将官辞典』24頁。
  9. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。
  10. ^ 『官報』第5791号、昭和21年5月8日。
  11. ^ 『官報』第1431号「叙任及辞令」1931年10月5日。
  12. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、23頁。

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1960年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 東奥日報社 編 『青森県人名事典』 東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656 
日本の爵位
先代:
浅田信興
男爵
浅田(信興)家第2代
1927年 - 1947年
次代:
華族制度廃止



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浅田良逸」の関連用語

浅田良逸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浅田良逸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浅田良逸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS