浅みどり昆布の発祥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 22:56 UTC 版)
浅みどり昆布を創始したのは、宮城郡内の手樽村出身の越後屋喜三郎とされる。喜三郎は正保年中(1645年から1648年)に塩竈に移り住んで昆布を商い、菓子の製法を習って菓子屋も営み、花昆布も売った 元文4年(1739年)、学問のため京都に逗留することになった藤塚式部を通じて花昆布を中納言武者小路公野に献上した。武者小路は「田舎には珍しく優しき細工」と褒め、花昆布ではなく「浅みどり」と呼ぶようにと言って、息子の実岳に塩竈浦の絵を描かせ、それに自らは筆をとって「ながむれば八十島かけて浅みどり 霞そたてる塩がまのうら」という藤原家衡の古歌を書き入れた。これにより越後屋は花昆布を浅みどり昆布と改め、武者小路からもらった絵を自家に大切に蔵した。 越後屋は仙台藩の領主が鹽竈神社に参詣するたびに浅みどり昆布を献上した。これにより寛保3年(1743年)に伊達吉村から「御用御菓子浅みどり昆布」の看板を与えられ、店に掲げた。
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