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津守國榮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 16:03 UTC 版)

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津守國榮

津守 國榮(国栄、つもり くになが[1]1882年明治15年)8月9日 - 1940年昭和15年)4月5日[1])は、明治から大正期の男爵神官。第75代住吉神社宮司大日本国粋会大阪本部会長。旧名・秀長[1]

経歴

伯爵・清閑寺盛房の五男として生まれる[1]。伯爵・清閑寺経房の弟。

住吉神社神職の男爵・津守国美の養子となる。養父の死去に伴い、1901年6月12日に家督を相続し[1]、翌日、男爵を襲爵[2]1903年2月3日[3]、第75代住吉神社宮司となる。1920年(大正9年)12月15日大日本国粋会大阪本部会長に就任。1926年9月16日、住吉神社宮司を隠居[1]

親族

養父の津守国美は住吉神社宮司74代、河内枚岡神社宮司、大鳥大社宮司のほか、歌学者でもあった[4]。国美の娘・津守好子は明治時代女官

妻の静子は侯爵久我通久の五女[1]。娘の三輪は膳所藩筆頭家老戸田資慶に嫁した。侯爵久我常通の二男通秀を養子とする[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 霞会館 1996, p. 118.
  2. ^ 『官報』第5383号、明治34年6月14日。
  3. ^ 『官報』第5874号、明治36年2月4日。
  4. ^ 津守国美美術人名辞典

参考文献

日本の爵位
先代:
津守国美
男爵
津守家第2代
1901年 - 1926年
次代:
津守通秀



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