決闘・武器としての役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:04 UTC 版)
秦檍丸の『蝦夷島奇観』(寛政12年)や『蝦夷風俗図』(平沢屛山)によれば、棍棒で打つ風習があり、打ち方、受け方の練習も行われていたとしている。 集団間での棍棒を用いた戦闘があったことは、『蝦夷藪話( -そうわ)』(正徳2年(1712年)に大隅の船員が択捉島に漂着し、根室で見た様子の記録)に記述があり、また、『北海記』(天明5年(1785年)に宗谷に行った者の記録)や『渡島筆記(おしまひっき)』にも記述が見られる。 改良して通常より長くし、先端に鉄片を植えて殺傷力を高めた金砕棒に近い形態も確認されている他、考古学の観点からは、北海道の棍棒と同様の形状のものが、岡山市の弥生時代の遺跡である南方遺跡から発見されている。 ポンヤウンペのユーカラにも棍棒による一騎討ちが描かれている。
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