江戸時代の国際関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 06:56 UTC 版)
1609年(慶長14年)、オランダ東インド会社はイギリス人の三浦按針の仲介により、長崎のオランダ平戸商館を通じた国際貿易を幕府から許可された。同年に発生した朱印状偽造事件(岡本大八事件)をきっかけに、1612年、幕府は天領に禁教令を発し、カトリック信者であるポルトガルの宣教師やキリシタン大名らを国外追放に処し、また1614年には天領以外の藩領にも禁教を拡大し伴天連追放之文を発布、1616年には二港制限令、1619年に再度禁教令を発し、本格的にカトリック信者を弾圧した。 布教しないことを条件に貿易を認可されていたプロテスタントのオランダ人らは、カトリック信者らによる1637年の島原の乱の制圧を支援し、出島で貿易をしていたポルトガル人らが全滅したことで日本の国際貿易を独占することとなった。このことから幕府は1641年(寛永18年)、オランダ商館を平戸から出島に移転させた。これにより、オランダ語の書籍が入手しうるものになった。
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