永禄以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 16:07 UTC 版)
本太城の築城時期は不明である。室町時代中期の文明14年(1482年)には、源政繩・政吉兄弟が居城し、本荘八幡宮を襲撃している。 かつて児島半島は半島でなく島であり、本土との間は藤戸と呼ばれる海峡で隔てられていた。しかし中世の頃には土地の隆起と堆積により最も浅いところは干潮の時に歩いて渡れる程に浅くなり、児島は四国・讃岐から本土・備前の玄関口として機能していた。更に備前と備中の国境地帯でもあった。本太城は、児島西海岸の第1の要害と呼ばれた本太岬に存在し、北に本太港を備えた山城と海城の複合城郭であった。
※この「永禄以前」の解説は、「本太城」の解説の一部です。
「永禄以前」を含む「本太城」の記事については、「本太城」の概要を参照ください。
- 永禄以前のページへのリンク