水野元綱とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 水野元綱の意味・解説 

水野元綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:55 UTC 版)

水野 元綱(みずの もとつな、慶長6年(1601年) - 寛文5年5月16日1665年6月29日))は、三河新城藩の第2代藩主。上野安中藩の初代藩主。新城藩初代藩主・水野分長の長男。母は山口重勝の娘。正室は中川秀成の娘。子は水野元倫(長男)、水野元知(次男)、娘(那須資国室)。官位は従五位下大和守、備後守。新城城主。

慶長6年(1601年)、尾張に生まれる。慶長12年(1607年)から徳川秀忠に仕え、慶長17年(1612年)に大和守に任ぜられた。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では水野忠元に属して出陣し、夏の陣では首級を挙げた。元和2年(1616年)に近江伊香郡内で1000石を与えられた。

元和6年(1620年)に父・分長が徳川頼房に付けられて常陸水戸藩に移ると、三河新城藩1万石を相続する(この際に近江の領地は収公された)。この際に備後守に改めた。その後、大番頭奏者番などを務め、寛永10年(1633年)に4000石を加増され1万4000石となる。慶安元年(1648年)に上野安中2万石に移封された。明暦3年(1657年)に琉球の使いが日光山に行く際にそこに赴く。

寛文4年(1664年)10月26日、次男の元知に家督を譲って隠居し、寛文5年(1665年)5月16日に死去した。享年65。法名は心源道要自雲院。墓所は東京都新宿区新宿の天龍寺。なお跡を継いだ元知が発狂した為、安中藩の領地は取り上げられ、子孫は旗本として存続した。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「水野元綱」の関連用語

水野元綱のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



水野元綱のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの水野元綱 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS