水道敷設の経緯とは? わかりやすく解説

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水道敷設の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/02 15:53 UTC 版)

倉田水樋」の記事における「水道敷設の経緯」の解説

この水道は、本五島町乙名である倉田次郎右衛門(くらた じろうえもん元禄16年没)が私費投じて創設したのである長崎の町は元々水源乏しく生活用水非常時消火用水の不足が問題になっていた。寛文3年1663年)の大火の際に水不足痛感した次郎右衛門は、長崎のための水道造ることを決意寛文7年1667年)、許可得て中島川の上流の現・伊良林1丁目付近の銭屋川を水源とする水道敷設工事着手した。 この水道工事市内36町に水樋を引き送水するというもので、多額工費が必要となり、次郎右衛門私財のほとんどを売却して足りなかったため長崎奉行白銀300資金援助をした。 水道完成したのは延宝元年1673年)のことであった奉行所では水樋係を新設し、その任を倉田氏に世襲させた。以後明治24年1891年)に日本初の上ダムである本河内高部ダム完成するまで、倉田水樋200年余りにわたって長崎住民供給し続けた

※この「水道敷設の経緯」の解説は、「倉田水樋」の解説の一部です。
「水道敷設の経緯」を含む「倉田水樋」の記事については、「倉田水樋」の概要を参照ください。

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